女性を救う医師「デニ・ムクウェゲ」すべては救済のために

女性を救う医師、デニ・ムクウェゲ。

ノーベル平和賞を受賞した彼は、コンゴで医師として働いており、

性的テロ撲滅のために命を懸けて闘っている医師です。

彼の自伝として「すべては救済のために」という本が出版されています。

この本は、かなり衝撃的でショッキングな表現も書いてある本で、

目を覆いたくなるようなコンゴの状況も書かれています。

そんな彼の自伝の本を含め、彼の人生に迫っていきたいと思います。

目次

①生まれてすぐ彼は死にかける

②彼の命を救ったのは

③コンゴという国

④デニ・ムクウェゲの行動

①生まれてすぐ彼は死にかける

ある赤ちゃんが、1995年3月1日に生まれました。男の子です。

生まれて間もなく、彼は深刻な全身感染を発症しました。

彼の母は、一刻も早い手当が必要だと分かりました。

しかし、夫はコンゴ東部の家からかなり離れたところで研修に参加していて、すぐに連絡が出来ない状況。

家は市の中心外であり、近くにはカトリックの修道女が運営している診療所が二つしかありません。

当時は宗教問題も勃発していました。

プロテスタント信者の一家は、カトリック診療所はきっと受け入れてくれる可能性は低いことを認識していました。

しかし、市の中心地区までにはかなりの距離、間に合うとは思えない。

こんな小さな男の子が苦しんでいるを見ればカトリックの修道女も情けをかけてくれるのではないか、

そんな一縷の望みをかけて彼女は診療所へ向かいました。

しかしカトリックの診療所の扉は開くことはありませんでした。

カトリック修道女にとって、彼女たちを受け入れるのはもっての他でした。

そっけない口調で「お引き取りください」と。

最後の希望は消え、彼女は絶望しか残っていませんでした。

彼女は自宅に帰らざるをえませんでした。

「この子はもう助からない」

この夜は越せないだろうと彼女は覚悟しました。

②彼の命を救ったのは

この苦境を知った同じ地区のある女性が、その赤ん坊を救おうとしました。

誰かは分かりませんでしたが、おそらくカトリック診療所の見張りの誰かが、その女性に知らせたのです。

「赤ん坊がひどい病気にかかっている。このままでは赤ん坊が死んでしまう。」

その知らせを受けたのはスウェーデン人の女性教師マイケン・バーリマンでした。

バーリマン先生はすぐに彼女の家に向かいました。

なんとかしますとバーリマン先生は請け負ったあと、町にあるもう一つの診療所に向かいました。

もう一つの診療所もカトリックの修道女が運営する診療所。

バーリマン先生は、赤ん坊の容態を詳しく説明し、判断を迫った。

すると一つ目の診療所とは全く違う反応が返ってきました。

その赤ん坊の受け入れを許可したのです。

すぐさま赤ん坊を診療所に案内し治療が始まりました。

全身状態が悪く、すぐに心停止を起こしてもおかしくない状況の中、修道女たちは必死に対応しました。

それから三週間かけて赤ん坊は少しずつ回復、生命を取り留めることが出来ました。

その子の名前はデニ・ムクウェゲ。

デニ・ムクウェゲは、長年母から繰り返し話を聞かされました。

そして彼は8歳の時、ムガンガ(病人を助ける人)になろうと決意しました。

そして彼は医者を志すようになりました。

そして彼は医者になりました。産婦人科医です。

実は研修中まで、彼は小児科志望でした。

しかし、研修中、想像を絶する劣悪な環境で出産する女性たちを何度も見たのがきっかけで、方向転換をし、産婦人科医を志したのです。

この選択が、多くのコンゴの女性たちを救うことにつながるのです。

③当時のコンゴ

彼の幼少期、コンゴはベルギーから独立を果たしました。

コンゴは大きな歴史を刻んだのです。

ベルギーからの支配から脱却したコンゴの秩序は、徐々に乱れていきました。

政府と反政府勢力が対立し、日夜問わず銃撃戦が繰り返される日々。

カトリックと、プロテスタントの根強い宗教対立。

そして極めつけは1998年に始まった第二次コンゴ戦争です。

この戦争は、モブツ政権を倒した、ローラン=デジレ・カビラ(当時の大統領)が、それまで自分をサポートしてきた国々や、武装集団と敵対したことが大きな要因でした。

第一次アフリカ大戦とも呼ばれたこの戦争ではコンゴ近隣の7か国と、多くの民兵組織、武装グループと対立することになりました。

この戦争と共に女性の性暴力が出現しはじめます。

第二次コンゴ戦争では、沢山の武器を必要としました。そのために必要であったのが、コンゴにある鉱物資源でした。

この鉱物資源に目を付けた民兵組織、武装グループが、鉱物資源がある地域を支配し始めました。

この鉱物資源を元に新たな武器を調達し、さらに民兵組織、武装グループが勢力を付けていきました。

2002年に戦争終結を目指す合意が締結されました。

しかし、女性への性暴力はとまりませんでした。

民兵組織、武装グループが鉱物資源を支配し続けようとしたからです。

鉱物資源を継続して手に入れるために、その鉱物資源のある地域住民を支配しなければなりません。

地域住民が抵抗すれば、うまく鉱物資源の採取に手がつけれらません。

民兵組織は、時に村々を焼き払い、住民を殺害しています。

しかし、彼らの最大の武器は女性への性暴力でした。

特別な高価な武器を必要としない、つまり民兵にとって、経済的に負担がかからない女性への性暴力が

彼女の夫、そして家族への間接的攻撃につながり、それが家族の破壊につながるからです。

さらにそれは村全体、コミュニティの破壊につながります。

団結するはずのコミュニティがバラバラになれば、村全体のパワーは低下、

民兵組織が鉱物資源の発掘に取り掛かれるようになる。

このような原理が完成してしまったのです。

本来鉱物資源を管理するのは国の仕事とされています。

そして鉱物資源のために国民が不当に働かされ、搾取されるのを防ぐのも国の仕事です。

しかし、国はその役割を果たせていませんでした。

この結果鉱物資源は、これらの民兵組織や武装グループに支配され、数万人のコンゴ国民の生命が脅かされているという現状にあるのです。

④デニ・ムクウェゲの行動

彼の人生もまた苦難の連続でした。

幼少期の時から、村が反政府軍の攻撃にあい、攻撃から逃れるために何度も済む場所を変えます。

また、医師を志していましたが、政府の政策などから、ほぼ強制的に工学部の大学進学を余技なくされなどの困難な場面に出くわします。

家庭は裕福ではなかったため、学費を稼ぐために、自分で商売を始めてお金を稼ぐなどの努力もしていました。

そんな彼をしっかりと支えたのが家族でした。

デニ・ムクウェゲの父と母も過去に大変な思いをして、結婚し、彼を育ててきたのです。

またデニ・ムクウェゲは学生時代にマドレーヌという運命の女性と出会いました。

彼女は裕福な家庭で育ったため、両親に反対されますが、何とか説得し二人は結婚します。

二人の生活は決して裕福とは言えませんでしたが、二人はお互いに支え合いました。

そんな妻、そして家族たちのあたたかい支えによって、デニ・ムクウェゲは立派な医者になっていきます。


当時彼は小児科医を志望していましたが、ある山地のレメラ病院での研修で衝撃的な光景を何度も目にしたことが将来のキャリアを考え直すきっかけになりました。

まだ当時は、女性への性的暴力が横行していない時代・・・。

難産で大量に出血してくる女性

死んだ胎児を脚の間に詰まらせたまま歩いてくる女性

それにより生殖器の組織に瘻孔をつくってしまった女性

出産が、女性の命を危うくする過酷な環境下で行われている、

この山地に暮らす恵まれない女性たちを私が救わなければならない

この衝撃的な光景が、彼を産婦人科医へと導くことになりました。

その後、彼はフランス留学の後、産婦人科医の免状を手にします。

彼が望んだのは「適切な周産期医療を地域の女性たちに提供すること」

彼は医療者で協働し、出産を終えた妊婦の滞在施設を設立。

コンゴでは女性の社会的地位が低く、日々家庭で家事、労働を余儀なくされていました。

しかしこの滞在施設により、出産後の女性が安らかに休めるような環境をつくりました。

そしてそんな環境の中で女性に対する男性たちのまなざしは変わっていった。子を産むのは命がけで、出産に臨む女性には配慮が必要であるという事に気づいたのです。

そして彼の行動が、劇的に母子死亡率を改善させていきました。


しかし時代は流れていきます。

第二次コンゴ大戦がはじまりました。

適切な周産期医療の整備を整えていましたが、徐々に来院する患者にも変化が出てきました。

目に見えて増加したのは、女性の性暴力被害者です。

そして来院者の中には、性器を傷つけられた状態の女性も多くおり、性暴力の被害の大きさを物語っていた。

彼は自伝でこう述べています。

経験上、傷を見ればの民兵グループが何を使ってこの蛮行におよんだか判断がつくようになっていたからだ。それぞれのグループにはそれぞれの”流儀„があり、それがいわば”署名„代わりになっている・・・。

私は心ならずもこうした傷、つまりある種の武器が引き起こした性器の外傷の専門になっていった。

引用元:著者 デニ・ムクウェゲ 2019年6月15日 あすなろ書房 全ては救済のためにP40 

つまり彼は、周産期医療の充実のために産婦人科医になったにも関わらず、

女性の性暴力から起こった被害に対する専門医師となっていくのでした。

彼は15年間で4万2千人の女性を手術し、現在も病院を訪れる性暴力被害女性を救っています。

まとめ

地域主義、部族主義、政府対反政府分の対立、宗教問題、貧困、様々な要素が複合的に絡まりあったコンゴ。

この国では正義が埋もれてしまっています。

必死に医師として怒りの声をあげても政府も見方をしてくれない。

とても悲惨な状況です。

政府が国を統率せず、秩序が乱れれば、これほど人は残酷になれるのでしょうか。

この本には、目を覆いたくなるような性暴力の数々が描かれていると共に、デニ・ムクウェゲが医師として何に立ち向かっているのかが描かれている本でした。

彼は幾度どなく殺されかけながらも、医師として命がけで職務をこなし、世界に問いかけています。

かなり衝撃的な内容になっています。

読み終えて私は思いました。

私に何ができるのだろうか。

看護師の私一人が意気揚々とコンゴに向かったところで何も解決できない。

コンゴの性的テロ問題はどうしたら解決できるのだろうか。

政治、宗教問題、教育、法整備、価値観、、メンタリティ、文化

どれも私には手を出せません。

それだけの能力が備わっていないのです。

それでも私にできること。

唯一できるかもしれないこと。

それは

みんなに知ってもらうこと

自分たちが知らない世界ではこのような悲惨な問題が起きているという事

それを知らせることが現在の僕にできることなのかもしれません。

たまに駅とかで募金を募っていたりしますよね。

でも皆さん大抵募金せず通りすがります。

それはなぜか。

知らないからです。

その問題を知らないからです。

それは当然のことです。何も知らないのに「募金してください」と言われても行動できる人はほとんどいないと思います。

自分が知らないことに感情は動かないし、行動もできません。

24時間テレビでなぜあれだけ募金が集まるのかを考えれば分かりますよね。

テレビという媒体で情報を知り、感情が揺さぶられ、募金という行動にうつすことが出来るからです。

コンゴの事もそうです。

利己的な人々によって多くの女性が傷つけられているということ

安心して暮らすことが出来ない人がいるということ

世界では自分の命をかけながら人を救っている人がいること

私たちの生活がすごく恵まれているということ

まずはそれをみんなに知ってもらう事。

それが私の現在できる最大限のことだと思います。

コンゴの問題は複雑な要素が絡みあっていて、長期的な視点で、様々な視点からとらえて介入していかなければ改善にはつながらない大きな問題だと思います。

この大きな問題を、このちっぽけなブログで伝え続けるのは本当に微々たる力、いや本当に微々たるものかもしれません。

それでも、この本を読み、感情を揺さぶられた、私の最大限の行動であると私は思っています。

また同時に自分が医療者であり本当に良かったと思いました。

デニ・ムクウェゲとは職種が違いますが、同じ医療者です。

彼のように命をかけて仕事をしている

とは私の場合は言えませんが、それでも私も医療者として、精一杯患者と関わっています。

当たり前すぎる毎日のように過ごしているかもしれませんが、私の存在が彼のように、患者にとって必要な医療者であったら良いなと思いました。

人は人と比べがちな生き物です。

私も時として、人と比べてしまうこともありますが、比べてことに対して自分を卑下しないようにしています。

世界にはこんなに素晴らしい医療者もいるのだな、と上を向きながら歩き

自分も精一杯やっているじゃないか、としっかり足元を見れる医療者でこれからもありたいと思いました。

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ABOUTこの記事をかいた人

「看護師としてのキャリアってなんだろう」 と日々考えているとある看護師 新人からHCU配属。HCU,ICU,ER経験。 新しいチャレンジをしてみたいと考え、思い切って企業に転職。外資系医療機器メーカーのクリニカルスペシャリストとして働きだす。 企業で働き始め、「やはり看護は面白かった」と再考。 再び看護師へUターン。 「どうせなら新しい看護にチャレンジしよう。」と精神看護の道へ。 現在精神看護師として救急病棟で勤務している。 学歴 専門学校卒→放送大学卒(教養学) 学位授与機構で看護学士取得済